elderlyママのぼやき

元銀座のママです。長年続けてきたナイトクラブを令和2年4月3日に閉店しました。以降、地方に暮らしながら農作業と母親の介護に励んでいます。

クリスマスイルミネーション

 今月の半ば、銀座へ行こうと決めていました。


 7丁目の、資生堂本社ビルを彩るクリスマスイルミネーションを見るためです。


 大好きなイルミネーションで毎年楽しみにしていたのでどうしても見たく、ちょっとだけ見てすぐに戻るつもりでした。


 ですが東京のコロナ感染者が日に日に増えて、800人を越した時はさすがに怖くなり、行くのを断念しました。


 万が一にもウイルスを持ち帰ったら大変なことになります。


 コロナ禍で苦戦を強いられている息子にクリスマスプレゼントを送る時、お店で最後のメンバーだった3人の女性にもプレゼントを送りたいと思いました。

 

 品物は、ピエールマルコリーニのチョコレートケーキです。


 当店と同じ並びにあったショップのウインドウを、彼女たちがよく覗きこんでいたのを思い出したからです。


 ですが、アマゾンに発注する数日前、職を失った女性たちが配信しているユーチューブ動画を見てしまい、気持ちがぐらつきました。


 突然解雇された20代の女性が、残高の少ない通帳を公開して、


「来月は家賃が払えない。どうしよう」


 と、途方にくれていたり、

 
 会社が倒産した30代の女性が、


「食事は1日一食で、今日はこれだけです」


 と、具なしの焼きそばを作って見せていました。


 こうした動画を見るまで知らなかったのですが、このコロナ禍での女性の失業数は男性の倍だそうです。


 動画を見ていると、クリスマスプレゼントを送ろうと思った3人に重なりました。


 彼女たちとは8月以降連絡が途絶えているのでその後の動向はわかりません。


 元気で頑張っているものと勝手に決めつけていましたが、もしかしたら動画の女性たちと同様の環境に置かれているかもしれません。


 失業しないまでも、出勤日を減らされたり、お給料もまともにもらえていないかもしれません。

 
 そうしたところに届くマルコリーニのチョコレートケーキはどういうものなのでしょう?

 気持ちをさかなでするだけではないでしょうか?

 
 深読みと思いつつ、考え込んでしまいました。

 
 あげく、送るのをやめました。
 

「コロナが収束したら同窓会をしよう」


 と約束しているのでその時に渡すことも出来ます。
 

 今年のクリスマスはツリーもイルミネーションも見れないで終わりそうです。


 資生堂本社のイルミネーションは今年は従来の赤一色ではなく、医療従事者への感謝と敬意を込めて青を灯すそうです。


 来年はあのルビーのようにきらめく深紅のイルミネーションに戻ることを願ってやみません。

 
 3人の女性たちもどうか幸せなクリスマスでありますように。


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ありがとう。

 私の母は『ありがとう』を言わない人です。


 昔からで、誰に対してもです。


 だから、

「何かしてもらったらありがとうは基本でしょう? お金がかかるわけじゃないんだからちゃんと言いなさいよ!」

 性格がきつめの実妹にはことあるごとに怒られていました。

 
 わが息子にも、

「おばあちゃんは将軍様みたいだね」
 
 とからかわれていました。

 
 ただ肩を持つわけではないのですが、ありがとうを言わないからと言って感謝の気持ちがないわけではないのです。


 例えば野菜とか魚介を頂戴した時は、

「新鮮ですね」

「おいしくいただきます」

 などの、母なりの置き換え言葉で謝意は示します。


 私に対しても、

「ごくろうさん」

「お金、使わせたわね」

 などのねぎらいの言葉は惜しみません。


 それでも普通に『ありがとう』を言って欲しくて母とは随分戦って来ました。


 母は、

「慣れてないから今さら簡単に口に出ない」

 と顔をしかめ、

「ありがとうを言わなくてもちゃんと生きて来れたんだから!」

 最後には開き直りました。

 
 そこまで言われたら娘の私としては口をつぐむしかありません。
 
 もう言わないことに決めてスルーして来ました。


 ですが、今の地に移住して、相変わらず『ありがとう』を口にしない母がまた気になり出しました。


 耳に入って来ないだけで本当は地元の人たちに、陰であれこれ言われているのではないだろうか?


「礼儀知らずね」

「お高くとまってるわね」

 とか何とか。


 考えすぎかもしれませんが、やっぱりこのままではダメと思いました。


 母も私もこの地ではよそ者です。

『ついのすみか』と決めているのに嫌われたり村八分にでもされたら暮らしていけません。


 考えて、勝負に出ました。


 並べた朝食の前で母に、

「今日から食べる前にありがとうを言って。言わなきゃ食べさせない」

 毅然と言いました。


 いきなり切り出された母は、何を言ってるの? といった表情で私を見ましたが、すぐに、あっさりと、

「ありがとう」と言いました。

 そして自家栽培のグリーンピースがたっぷり入った好物のスクランブルエッグを食べ始めました。

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 しばらくは拍子抜けして言葉が出ませんでした。


「じゃあ食べない!」

 とふてくされて、席を立つかもしれないと身構えていたからです。


 いつぶりに耳にした『ありがとう』なのか久しぶり過ぎて思い出せません。


 母も年を取ったんだなと当たり前ですが感慨深い気持ちになりました。


 矛盾してるけど、

「ありがとうなんていちいち言わなくたって気持ちが通じてればいいのよ!」

 と、いつものようにつっぱねて欲しかった気もします。


 湯気の上がった朝食を駆け引きに使ったのはちょっと卑怯だったかも。

 ゴメン。

 謝ります。


 

ちょっとだけヤバイ話

 朝散歩を始めました。
 
 海沿いを30分ほど歩くだけですが、何とも気持ちのいいものです。

 
 今朝は朝陽も海風も心地いいので足を延ばしてこの地の警察署まで来ました。

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 この警察署は浅田次郎さんの名作とされる短編小説にも登場しています。

 
 裏社会に生きる男が主人公の話ですが、浅田次郎さんは作中で、この地にも暴力団が実在したことを明かしています。

 借金にしばられた外国人女性が働かされていた売春宿も紹介していて、見に行って来ましたが、描写通りの白い建物が田んぼを背景に確かに立っていました。

 
 風光明媚で、平和そのもののこの町にヤクザがいてしのぎを削っていたことには驚ろかされます。

 
 ヤクザというのはどの地にも巣を張るようで、この4月まで店をやっていた銀座にも組織がありました。

 
 知る人ぞ知る『指定暴力団××会』の本拠地で、当店のはす向かいの所有ビルに事務所を構えていました。

 
 駐禁にもかかわらず、ビルの前にはブラバスだのマイバッハベントレーなどの高級車が日替わりで路駐していました。

 
 ナンバーのついていないフェラーリが止まっていることもあり、


「あれで公道を走れるの?」

 
 謎に思ったものです。

 
 自転車に乗ったパトロールの警官は毎回見て見ぬふりでした。

 
 構成員はうろちょろしていたので珍しくはありませんが、めったに姿を見せないトップの会長がボディーガードに囲まれて表に出て来る時はさすがに辺りがざわつきました。


「あれが七代目か?」

「すごいオーラだな」

闘犬みたいなつら構えしてるな」

 
 通り合わせた通行人は足を止めて見入っていました。

 
 気づかれないようこっそりと写真を撮る人もいました。

 
 店が近くにあったせいで、公安に協力を頼まれたり、幹部とも顔見知りになって話しかけられたりと、それなりにヤバい思いもありましたがそれはそれで銀座時代の貴重で(?)アウトな一ページです。

 いつかそれらもまたまたなつかしく思い出すかもしれません。

 
 


 



 

みんなが大変です。

f:id:ElderlyMom:20201105083459j:plain 写真は数日前に撮ったわが家の畑です。

 雑草が生えているだけのさら地になっています。

 9月にさつまいもと里芋をイノシシにやられてから何も植えていないからです。

 被害にあった時、近所の農家さんに、

「この畑はもうダメだな。イノシシは、一度来たらまた来るから」

 と教えられました。

 作物が何もなくても土中のミミズを掘り起こしに来るのだそうです。

 電気柵を張り巡らせば大丈夫らしいのですが、周囲を子供たちも散歩のワンちゃんも通るのでそれは出来ません。

 
 どうしたものか悩んでいると今度は、畑の隅っこで死んでいる子供のイノシシを見つけてしまいました。

 車に轢かれた後、わが家の畑に逃げ込んで絶えたようです。
 
 
 農林水産省の職員が引き取りに来てくれたのですが、その時に、

「今回は『豚コレラ』の検査をするので持ち帰りますが、次回からはお宅さんで処分してもらうことになります」

 と言い渡されました。

 害獣と言えど、敷地内で死なれたら住人が片付けなければならないということです。

 
 畑が生きがいの母に、

「畑はしばらくやめよう」

 と言いました。

 しぶしぶですが、

「しょうがないね」

 と同意してくれました。

 当分はプランターに種をまいて、野菜の成長を楽しんでもらうしかありません。

 
 少し前、お店のお客様だったお米やさんの女社長から電話をもらいました。

 会社を畳むそうです。

 取引先の寿司屋と居酒屋が倒産してあおりを食ったようです。

 借金が半端じゃないと笑っていました。

 
 不仲になっていた『ママ友』からも電話がありました。

 もう一人のママが脳梗塞で倒れたそうです。

 車イスの生活になるかもしれないと心配していました。

 女社長もママ友もこれからが大変です。

 私の何倍も大変です。

 イノシンごときでめげていられなくなりました。

 ママ友が会いたがっているそうなので会いに行って来ます。

 



 

息子への想い

 42歳になる息子がいます。

 ひとり息子です。

 独身ですが、この先も結婚する気はないそうです。

 つきあっている彼女がいますが、この彼女とも結婚しないと言います。

「俺は結婚に向いてないし、彼女をしあわせにする自信もないから」

 だそうです。

 息子は父親というものを知らずに育ちました。

 彼が1才の時に離婚しているからです。

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「おとうさんがいなくてごめんね」

 息子にはことあるごとに詫びて来ました。

 母親の職業を理解出来るようになった頃は、

「おかあさんがホステスでイヤじゃない? いじめられたりしない?」

 肩身の狭い思いをしているんじゃないかといつも気がかりでした。

 子育てには全力で取り組んだつもりです。

 息子は、親の心配をよそにちゃんと育ってくれました。 

 時々、

 息子が結婚しようとしないのは、親である私のせいではないか? と考えることがあります。

 父親がいなかったので、

 肩車をしてもらったり、キャンプに連れて行ってもらったり、お風呂で背中の流しっこをするなどの経験が息子にはありません。

 父親不在が彼に及ぼしたものは大きかった筈だし、そのせいで家庭というものに夢を持てないのかもしれません。

 息子とは仲良しですが、結婚に関してだけはあれこれ言えずにいます。

 ネガティブですが、息子への負い目のせいです。

 本当は孫が欲しくてたまりません。
 

 

 

 

 

 

 

 

ドンペリニヨン

 今日も東京に来ています。

 築地警察署に『風俗営業許可証』を返納するためです。

 5階の生活安全課に行くと30才くらいの若い男性職員が当店に関した書類を用意して待っていてくれました。

 それらをめくりながら、

「ずいぶん長いことやってたんですね。何の問題も起こさずに…」

 感心したようにつぶやきました。

 客とのもめごとや、ホステス同士のケンカなどで警察の世話にならなかったことをほめてくれたのでしょうか?

 それなら飲食代の金額が気に入らなかった客が警察を呼ぶというゴタゴタが一度だけありましたが、それは記録に残されなかったようです。

「ご苦労様でした」とねぎらってもらって署を出ました。

 数日前は消防署に『防火管理者証』を、保健所には廃業届けを添えて『営業許可証』をそれぞれ郵送で返納したので、私がすべき店舗営業に関する手続きはこれで全部終了しました。

 肩の荷がおりました。

 あとは帰るだけですが、電車の乗り換えが3回とバスにも乗るので片道4時間近くかかります。

 いつもなら憂鬱になるところですが、今日に限ってはそんなことはありません。

 家で、写真のドンペリニヨンが待っているからです!

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 人気の高い、美味なシャンパンです。
 
 今日の出がけに冷やしてきました。

 今の地に移って半年になりますが、お酒はほとんど飲んでいません。

 やめたに等しいです。

 今日はごほうびで、特別です。

 このドンペリは閉店する時、お店からくすねて来ました。

 いつかここぞという時のために取っておきました。

 母を寝かせたら自室にこもってお気に入りのグラスで飲むつもりです。

 自室の窓から家々の合間にですが海が臨め、そこから昇る朝日も見れます。

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 とてもきれいです。

 澄んだ夜は、星も月も眺められます。

 本来なら今日は満天の星を仰ぎながら飲みたかったのですが、近づいている台風の影響で無理そうです。

 残念ですが、それでも飲みます。

 多分、人生最後のドンペリです。

 かつてないほど味わって飲みます。

 

 

 

 

さようなら、私のお店!

 久しぶりに銀座に来ました。

 管理会社に店の鍵を返すためです。

 店は4月3日をもって閉店しましたが、借主名は今月末まで私になっています。

 テナント契約の6ヶ月縛りによるものですが、今日鍵を返して全部が終わります。
 
 
 担当者との待ち合わせ時間より早く来て店内に入りました。

 3ヶ月ぶりくらいでしょうか?

 室内は空気がよどんでほこりの匂いがしていました。

 中はおおかた片付いていますが、このコロナ禍で次の借り手が見つからなかったので、ルール通り現状回復、つまりはスケルトンにして返さねばなりません。

 この作業はありがたいことに管理会社が代行してくれることになりました。

 かかった費用は預けてある保証金から差し引かれるのですが、自分でやるとなると業者を探して、打ち合わせや立ち会いなどもあるので大変でした。

 
 それにしても店内のこの造作が取り壊されてなくなってしまうのは残念でなりません。

 店の真ん中に立って店内のぐるりを見渡しました。

 船室をモチーフにした、マホガニー調で統一されている内装です。

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 居抜き物件でしたが、当時30代の若さだった建築家の隈研吾さんがお客様でいらしていて、

「いい造りだね。落ち着くね」

 来店されるたびほめて下さっていました。

 管理会社の担当者も、

「こわすにはもったいない造りですね」

 と惜しんでくれました。

 
 この店で正確には34年と1ヶ月営業させてもらいました。
 
 思い出がいっぱいです。
 
 暇な時間に座っていた私の定置席を撮りました。

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 一枚撮ったら、ボトル棚や、更衣室なども撮りたくなってあちこち連写しました。

 その後で、

「長い年月ありがとうございました」

 見守っていただいた、お店の神様に手を合わせました。

 
 管理会社の担当者が来たので3本の鍵を返却しました。

 コロナ禍ということで手短に終了しました。

 地下の階段を上って表に出ると、店名の並んだ細長い袖看板を見上げました。

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 今はまだ名前がありますが、その内には外されてなくなります。

 いつかコロナが終息したのち、ここを通りかかったお客様が足を止めて、

「そういえばここに『フレンズ』があったな。まあまあのママがいたな」

 とでも思い出してくれたらとても嬉しい。

 働いてくれた女性たちも銀座に来た時はなつかしんで欲しい。

 そしてコロナが消えたらいつか私もここに来たい。

 どんな店に変わったのか、お客様として入ってみたい。

 それまでお別れです。

 
 暇な時さぼらせてもらった、真向かいの焼き鳥やさん。

 店に飾る花をいつもていねいに選んでくれた、並びの花やさん。

 胃薬ばかり買いに来てた、角の薬局やさん。

 元気で頑張って下さい。

 またいつか会いに来ます。