elderlyママのぼやき

銀座の高齢なママです。夜な夜な話を書いています。

あの頃の若かった記者たちへ。

 銀座はマスメディアの街でもあり、地方の放送局、テレビ局、新聞社などの東京支社が数多くあります。

 当店もそれぞれの媒体には少なからずお世話になりました。

 中でも地方紙の若い記者たちにはひんぱんにいらしていただきました。

 それまで知らなかったのですが、彼ら地方紙の記者同士は非常に仲が良く、例えば北海道紙と沖縄紙が飲んでいるところに四国紙と中部紙が交ざるといったような光景はよく見られました。

 彼らは最低でも3、4人、多ければ10人単位でやって来るのですが、社用費や交際費が使えないのでいつも自腹でした。
 
 おかげでしょっちゅう値切られました。

 給料日の前日など5人くらいで来て、

「今日は金ないんでこれでお願いします」
 
 と三千円ずつを差し出された時は、

「お金がなかったら飲まなきゃいいでしょう!」

 さすがに癇癪を起こさずにはいられませんでした。

 若い彼らは一旦座ったら長く、なかなか帰らないので席が空かないのもそうですが、ウイスキーbottleを数本も空けたりするのです。

 隣で飲まれていた企業の幹部が、

「若い時は金がなくて当たり前だ。飲ませてやれよ。請求書はこっちに回していいから」

 救済の手を述べてくれたこともありました。

 腹立だしく思いながらそれでも彼らを拒めなかったのは、

 一つには、彼らが息子と同世代だったこと。

 二つには、中高年のお客様ばかりを接待している当店の女性たちにたまには若い男性をというママ心。

 そしてこれが一番大きな理由だったのですが、彼らの仕事への使命感、情熱といったものに動かされていたからです。

 飲みながら仕事の話にシフトすることはしょっちゅうで、

「俺が書いたから福祉が動いたんだ」
 だの、

「一石を投じたつもりが非難ざんまいでf:id:ElderlyMom:20200421090044j:plain終わってしまったよ」
 だの、

「子供の頃から追いかけたやつがオリンピック選手に選ばれた!」
 だのの、やりがいや悔しさ、喜びなども共有させてもらいました。

 彼らはまた年々減少する新聞の発行部数や、経営の脆弱化にも危機を強めていました。

 東日本大震災の影響で岩手東海新聞が廃刊に追い込まれたり、岡山日日新聞社が倒産した時はお通夜のように沈んでいました。

 今、テレビでは毎日のように地方知事や自治体が新型コロナウイルスの会見を開いています。

 その会場に見知った記者がいないかつい探してしまう自分がいます。

 新聞というメディアの役割は彼らから教わったつもりです。

 新聞離れが止まらず、スマホでニュースを読む時代と言われてもそのニュースを取材して記事を書き、配信しているのは彼ら新聞記者たちです。

 地方紙だろうと全国紙だろうとペンの力に優劣はありません。

 あの頃、何かと言えば、
「先行投資して下さいよ」
 と飲食代を値切られました。

「偉くなったら恩返ししますから」
 
 このセリフも耳にタコが出来るほど聞かされましたが、ただの一度も恩返ししてもらっていません。

 店もcloseしたし、あなたたち記者と顔を合わせることももうなさそうです。

 こうなったら今あなたたちの出来ることで恩返しをして下さい。

 幸いにもあなたたちはペンという強い武器を持っています。

 そのペンで国民に正確なニュースを伝え、希望も伝え、身動きが出来ないでいる我々を救って下さい。

 お願いしましたよ!