数日前、取引先だった酒屋の担当者から電話をもらいました。
仕事が暇でしょうがないのだそうです。
それはそうと思います。
彼の働いている酒屋は主に銀座一帯のバーやクラブなどに酒を卸しているので、これらの業種がきびしい今、注文が減っているのは当たり前です。
「ママはいい時にやめましたよ。銀座なんて誰も歩いてないし、時短要請が始まったらもうおしまいですよ」
この秋に子供が生まれる彼は転職も考えていると終始へこんでいました。
彼が口にした、
『ママはいい時にやめましたよ』というこの言葉、何人にも言われました。
カラオケ屋さんにも税理士にもビルの管理会社にもです。
日に日に新型コロナの感染者が増え、先が見えない今を思えばそれは確かにグッドタイミングだったと自分でも思います。
しかしながら手放しでは喜んではいません。
引き換えに大事なものを失ったからです。
それは銀座における二人の『ママ友』です。
閉店を決めた時、この二人の友人に、
「一緒にやめない?」
と持ちかけました。
この頃、ニュースにこそなりませんでしたが銀座でもホステスや黒服のコロナ感染者が相次いでいて、夜の街には激震が走っていたのです。
お客様にうつすリスクも大でした。
コロナの怖さを説く私に、ママの一人は、
「借金があるからやめられない」と言い、
もう一人のママは、
「こうなったら3人でやろうよ」
と提案して来ました。
ルームシェアならぬテナントシェアをしようと言うのです。
長い時間をかけて話し合いましたが、結果は決裂で終わりました。
私は、
『友人二人を置き去りにしていち早く銀座を去る裏切り者』になってしまいました。
あれから二人と連絡が取れていません。
何度か電話しましたが出てくれず、LINEを送っても既読になるものの返事はくれません。
二人とも相当怒っているのでしょう。
昨日、目の調子が良くない母を連れて眼科医に行きました。
両目とも白内障と診断されました。
後日の手術に備えて、あれこれ検査を受けました。
説明や手続きも多く、正直疲れてしまいました。
介護タクシーで帰ったのですが、道中ふと、
「将来、私が白内障になった時は誰が病院に連れて来てくれるんだろう? 手術の段取りは誰がしてくれるんだろう?」
考えてしまいました。
息子がいますが、どこまで頼れるかわかりません。
二人のママ友とは30年来の長い付き合いで、何でも言い合える間柄でした。
しょっちゅう一緒に飲み、
「将来は同じ老人ホームに入ろう」
指切りもしていました。
気が弱っていたのだと思いますが、むやみと彼女たちのことが思い出され、介護タクシーの中であやうく泣きそうになってしまいました。